ある時上司からライフワークバランスについての話をされた

本社の何やら大きな会合でその話があって、それを部下にシェアするということだったのだけど

大体、何歳までに結婚して何歳までにマイホームを建てて何歳で仕事を辞めて〜という人生設計の話

今から想定して、そうなる日が来るまでに逆算して今する行動を、ということらしい

 

私が一番望んでいるものは自分の家族を築くこと

今、生まれ育った家で家族誰も欠けることなく幸せに暮らしている

だけど兄がいる以上いつか家を出なければいけない

今までの自分が幸せだったから、次は自分で幸せな新しい家庭を築きたいと思い始める

愛する人と結婚して、子供を産み育てたい、働きたい

地味だけどとても大変な夢な気がする

それを目標に逆算すると、今の会社を続けながらその夢を叶えるのはとても難しい

女社会、従業員1800人居て時短勤務1人。1/1800。ちょっと倍率の甘い宝くじのようだ

販売という仕事を続けていて、何かスキルを胸を張って言えるものが無い

うーん

 

皮肉なことに繋がってしまったな

とても久しぶりに、ブログを書く。
ここ数日、重めの風邪から会社を休んでいて、熱が引いている時分は癖のようにTwitterアプリを立ち上げている。
社会人になって自分の時間というものがやはり減り、貴重なその時間はずっと携帯、SNSを見る始末。他人の情報はそこまで刺激的なのだろうか。
幸いゲームはまったく嵌らない性質のためその部分では助かっている。

写真を学んでいた頃に比べると明らかに精神が鈍くなった。何かを見てどう感じるかを咀嚼しなくなった。あらゆる感度、それを表す言語が自分の中からどんどん失われていく。まず景色を見ていないのだから当たり前である。
なのでTwitterのアプリを全部消した。アカウントは消していない。以前にも消したことがあったのだが、また軽い気持ちで入れてそこからまた中毒が戻ってしまっていた。これからもう、しばらくは距離を置いておこう。パソコンを点けた時に見たり投稿する程度にしたいものだ。
ネットの流行から遅れても大した問題じゃない。それよりも自分の目で見て音を聞いて、生活を、生きることを実感していきたい。見落としている小さなことを拾って集めていきたい。

その代わりここのブログにはもうちょっと自分の言葉で考えて出していけたらいいな。少し長い文章を読みやすく書くことに不慣れなのを小マシになれたらと思う。別に何かを目指している訳ではないけれど。

全然更新しておらず、リンクも貼っていないのに閲覧してくれてる方がいることに驚いた。嬉しい気持ちになる。


愚痴ばかり言わせて

仕事が決まってアルバイトとして働き始めて一ヶ月半、頭痛が酷い

もともと身体のどこかしらに疾患が発生する時は頭が多いのだけれど、その偏頭痛と相まって眼精疲労、肩こりも加わり悪化している

パソコンと細かい文字を読み取る作業だから仕方ないのだけど相当辛い、ついでに目も沁みるように痛い

目の奥と前頭葉がギュウっと強い力で圧迫されている感覚の鈍痛+ときたまアイスピックなどの細く尖った固いもので頭蓋骨を刺し削るような痛みが続いて、ついに一度会社のトイレで嘔吐した

そしてどうも仕事内容が自分の適正と外れているのかなと思い始める

今まで感覚的なことばかりに従事してきたせいか、左脳を多く使うことに慣れていない(書いてて馬鹿っぽいと思った)

慣れていないことと身体的に自分ではきついことが合わさって大変辛い

 

今までしてきたアルバイトはほぼ接客業ばかりで、その時感じたしんどさとまた違う

接客業は強制的に笑顔を作るから、終わって身体が怠くてもワーキングハイのようなちょっと心地いいしんどさがあったのだけどそれが全くない

会社を出てまず酸素を求めてしまうし、翌日も起床時から頭痛がすることも増えている

目が覚めて頭痛がしていると、そこから会社に行くのが辛いし今日乗り切れるかなと不安がいっぱいだし、昔から持っている偏頭痛だけどいつかこの頭痛がこなくなるそんな日がくるのだろうか、仕事に慣れれば身体も麻痺するのかしら、そんな気がしない、来春から毎日これが続くのかと思うと絶望した気持ちになってくる

わりと容易く死ぬことを想像してしまう中高生のころの悪癖が顔を覗かせる

ということは今の仕事は合ってないのだろうな

気持ちを冷静に分析出来るようにはなった、どうせ死なない

 

何も出来ない何も知らない頭も要領も良くない小娘なのに善意で拾って頂いて、人間関係も悪くない、会社としてもきちんとしているという最高の環境なのにグチグチ言っている自分が情けなくて情けなくて、調子が悪いから必要以上に落ち込んでしまう

長く勤めることを条件に入れて頂いたからせめて5年、いや新卒でよく言うまずは3年という言葉通りに頑張ろうと思っていたけれど、果たして3年も身体が続くのだろうか

次の道を探すなら正社員になる前の方が都合がいいのはわかっているけど

 

ありきたりな悩みだけれど当事者になると大げさに辛く感じるものなのね

「利用されるだけいい女じゃないか」

と真剣に言った男がいた

その言葉と行動とタイミングがわたしの中で徐々に不信感が積み上がっていって軽蔑するようになってしまった

結局その不信に耐えかねて縁を切ることにしたのだけど

彼は何を間違えたのか本当に理解出来ないらしい

相手の立場に立って省みることをしてこなかった人とその末を目の当たりにして恐ろしくなった

反面教師として心の内で生き続ける

 

行動と言葉はリンクするものだから

どちらかが良くてもそれに伴うもう一方のものが無ければ台無し

裏付けが取れない

 

わたしが焦っているのは自分が納得する裏を取ろうと必死なのだな

なるほど

納得するものなんて出てくるのか

満足はいつまでもすることが無いだろうな

頂点は一瞬ということをよく忘れる

 

 

 

火のように生きている

本当は水のように、形を変えながら淀んだり浄化したり、流れたり溜まったりしながら生きたい

丁寧に生きているか

すべての物事は大したことではない

わたしはよく人を追い詰めて逃げ場を無くそうとする

そんなことを自分がされると全力で逃げ切ろうとするのに

何を焦っているのやら

確実なものなんか一つも無いこの世の中で確実なものを手に入れようとする矛盾

立場とか名前とかどうだって良いはずなのに

形にばかり拘って中身は空っぽ

これはただ自分の強欲さで、欲しいと思ったものを自分のものにしたがる買い物依存症と同じ部類

相手のことを考えなければ

曖昧なことを無償で信じるのが愛なのではないか

「それをやる義務も責任もないのに、敢えて無償で他人の心のためにやってあげること」

いしいゆかりさんはすごいなあ

死んだら同じ灰と骨

 

利害とか勝ち負けにとても敏感になる

自分が損をしたくない気持ちが強すぎる

どうだっていい

もうどうでもいい

 

比較しても意味が無いし確実なものは無いのだからこの瞬間を一生懸命に生きるしかない

所詮人間は独りでしかない

誰と居ても

自分でない誰かに何かを求めることが不毛

 

独り善がりかどうかをきちんと判断していかなければ

真実も大事だけど表される言葉はそれ以上に大きな力を持つから

本当は違うのにこんな風に言ってしまったというのは取り返しがつかない

自分が発した音が空気を伝わり相手の耳の届き心に着地するころには自分の意志とは違う形になることがほとんどなのだから

最初から違うことを言ってしまっては距離がどんどん離れていくこと請け合い

本当のことしか言ってはいけない

甘えが過ぎる

 

頑張ると意気込んでも続かないから

黄色信号だと渡るのを辞めるとかそういう些細なことに気をつけるようにだけして

なんとなく生きる

真面目になるのと頑になるのは紙一重だから柔軟に

 

あの人は今日もいい日を過ごしているかしら