削られがちな情緒

電車に乗って居場所を見つけたらカバンを探り手のひらサイズの機器を取り出し小さな画面に集中すること10分。スマートフォンを見ることが手癖になっている

気付けば電車だけでなくバイト中の暇な時間、家での手持ち無沙汰な時間、食事中、ベッドに入って意識が落ちるまでの間もそれはわたしの右手にある

生活のふとした時間全てをスマホに費やしていて、その間の思い出は取り立てて何も無く、得ているはずの情報は自分に何も残らずインプットにさえなっていないことを考えると、自分の意志で持ったはずのスマホに支配されているように感じてきた

本当に何気なく見てしまうから日常に侵食する中毒性はタバコよりも大きいのではないか

便利さと連続する小さな刺激(連続しているからもう刺激にもなっていないはず)と引き換えに、人生のうちの限られた若い時間を消耗してしまっていると気付く

情で付き合っている恋人のような感じ

不便であったり手持ち無沙汰な時間というのは現代ではもはや贅沢なことなのかもしれない

不便なことは便利なことよりも得るものは豊富

不便で暇な時間を愛そう

時間の流れは年々早く感じるけれど、それに合わせて競歩で生きる必要はどこにもない

 

 

フィルムカメラでまた撮るようになってから、不便であることの愛おしさをしみじみと感じ始めている

仕上がった写真を母に見せたら「(母方の)おばあちゃんが写真の裏にペンで日付書いてたり、どこへ行ったかをメモしていた」と言うので、ただ撮り終えてプリントするだけでなくそういう備忘録を記しておこうかなと思った

自分の書いた文章でも撮った写真でもデジタルだとパスワードが無い限りわたしが死んだら開かれることなくそれで終わってしまう

機器が壊れると二度と日の目を見なくなってしまう危ういものに預けているという感覚を忘れていた

なるべく物体として記録しておき、自分にとってより身近で大切な人がいつか手にして、わたしという人物がその人の中に残るように

日々の中からお金に換えられない大切なものを蓄積していく

誰かにとってそれが財産と思ってもらえるような生き方をしたいところである