動機

作家的な性格を持ち合わせていない。何か生み出したい、気がついたら絵を描いていたり写真を撮っている、ということがあまりない

課題として何かをこなす方が性に合っている。だから仕事として考えて生み出す方が向いていると思う。自分の生み出したものを発表して評価される場が初めからあるということで、誰かに見てもらいたい、褒められたい、優秀な成績を修めたい、対外的に認められたいという気持ちが強いから、そのために制作という手法を使っているのかなと思う。たぶん制作職と関係ない仕事に就いたら時間があっても制作はしなくなると思う。

バイト仲間の同じ大学の日本画をやっている子に、「最近制作進んでる?」と聞かれる。その子は2留していて4回生3回目なので卒制は終わっていて、わたしと似た状況にある。昼夜毎日バイトをしているから全然制作してない、卒制も終わったし課題としてやらなきゃいけないわけじゃないから時間無いというのを理由に何も描いてない、やばい、と言っていた。

わたしはやばいなんて思ったことは無いし、何か作らなきゃ!と焦ることが一切なく、違いが浮き彫りになるなあと思った。そこに焦る。

その子も高校から美術コースに入っていて、何で高校からそこに行ったの?と聞いたら

「絵ばっか描いてたから、頭もないし他に出来る事もないし」

じゃあ何で絵描き始めたの?

「何でかなあ、あんまり覚えてないけどたぶんストレス発散?他の人に喋ったりするより引きこもってわーって絵描いて解消してた」

とのこと。

作家だなあ

 

 

 

「かわいい」と「美しい」なら後者の方が強いと思っていた。

かわいいは「可愛い」と書き、真ん中に愛が入ってるから、愛されるには少しの隙、その隙に人は安心感を覚え共感しやすいのかなと考える。自分と近く体温を感じ易いような。

「美しい」は完璧、完全。=一つでも欠けたら完全でなくなる。その危うさに惹かれている部分もある気がする。

「かわいい」は柔軟なしたたかさ、「美しい」は完全で憧れ(人が憧れを持つのは自分に欠けているものがそこにあるから)と思っている。

「かわいい」には最初から弱さが存在していて、「美しい」には一見完璧で強いけど弱さに転じる可能性を含んでいるのかな。そうなるとあまり変わらないかもしれない。

「かわいい」の語源は「かわいそう(可哀想)、不憫、気の毒で手を差し伸べたくなる」から来ていて、やはりどこか弱さありきの「可愛い」なのだなと知っていたけど、じゃあ「美しい」はどこから?と語源を調べたら、万葉集からきていた(語源由来辞典からコピペ出来なかったので要約すると↓)

「父母を 見れば貴し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し」

妻子など自分より弱い者に対するいつくしみの感情とのこと。その後平安初期に小さいものや幼いものに対する「かわいい、いとしい」と表すようになり、平安末期ごろから「美しい」は「きれいだ」意味するようになった、とのこと

「美しい」は「かわいい」より先に生まれたというか、「かわいい」は「美しい」からの分派で元々は同じ感情から始まってるのかなあと思いました

でもやっぱり違いがあるから二つの言葉に分かれたと思うので、「美しい」の方が「かわいい」より洗練されてて巧みに感じるので、完全に憧れがちなわたしは「美しい」の方が好きだな。

生き易くするために可愛くなりたいけど本当は美しくなりたい。

 

 

 

この「やっぱり好き」という感情を忘れないでいたい。

話は変わるけど、美術科だった高校の時の担任の先生に当時

「正直絵で食ってける世の中ではないじゃないですか、将来どうすればいいんでしょうか」

と愚痴ったことがあって、

「確かに自主制作の絵だけでは到底食ってけないし、商業的な絵を描く仕事に就いても拘束時間は長いし薄給だし労働環境は悪いし辛いけど、でも僕らはその先に『それでも好き』っていうのがあるから辞められない」

と仰っていて、その言葉をその時に聞けて良かったと今思った。

好きというより好きでいることを辞めることが出来ない、に近い。頭で考える前に心動かされるものを見た時に受ける衝撃には抗えない。どうせ好きでいることを辞められないんだから仕方ない、というネガティブな気持ちから頑張ろうと思う。