思い詰めること

コンプレックスは昔から強烈に自分を持て余すほど強かったし、自分が持ってないものを持ってる人に 対して羨み、隣の芝超青く見える彩度MAX状態なのだけど、それがあるから爆発的なエネルギーを持ててるのかなあ、と思うに至った。よかった〜コンプレックスがあって。幸せ者だな。

そしてわたしの大体のコンプレックスは金で解決出来ることに気付く。その程度で良かったわ。現に顔改造してきたわ。これからも自分の強い欲望を解決するために働いて出世して金稼いで叶えていこうと味をしめる。

 

病むことが本当に無くなった。病んだところで状況に変わりないどころかむしろ悪くなる一方で非効率だと気付いたし、人生限りあるのに病んでる場合じゃない。暴力的なまでの超ポジを身につけることが出来た。

というかなんでわたしが病まなあかんねんむかつく!という怒りのエネルギーに変わるようになった。

高校の時の彼氏に別れたら死ぬってナイフ出された時は超病んだけど、今ならはあ?一人で死ね!って言えると思う。タフになった。たかが男のためにいちいち死んでられへんわ。知ってる?心臓って一個しかないんやぞ?一個の心臓だけで人間やらせてもろてます〜

そう思えるようになれたから今までのダメ男たちに感謝している。思い返すと本当にダメ男と変人しかいなかった。糧となってくれてありがとうと言いたい。清々しいほどに後悔が一つもない。

昔から悲観的でマイナス思考で、物事がもしダメだった時の自分の心に保険をかけておく(最初からダメだと思い込む)癖がついていて、ダメだったら最終的に死 ねばいいや、という考え方をしていたけれど、いろいろ辛くても自殺という選択を結局してこなかったし、ということはそうそう死ぬことを選べないし、自殺したらかわいそうな人生になる、かわいそうな人生にするために今生きてるんじゃないわ!と思い始めた。

 

 

 

子どもの頃、褒められたくて仕方がなかった。褒められている時の自分は特別扱いされているようで、わたし自身に向かい合ってもらえているようで、完璧にこなせば文句のつけようが無いから褒められる、完璧にこなせば自信もつく、認められたい、自信が欲しい、完全なものに憧れていた。今もついつい憧れがち。相対的評価でしか自分を認めることが出来なかった(今は違うと思ってる)

宝石のチラシを切り抜いて集めている子どもだったのだけど、キラキラしていて綺麗という思いの外に宝石の視覚的強度、完成された隙のない美に惹かれていたのかもしれない。暗くて卑屈でネガティブで性格も悪かった自分にとっては宝石というのは羨望のモチーフだったのかもしれない。暗い底から手を伸ばして縋る藁みたいなイメージ。

宝石だけでなく光の反射によって生まれるキラッとしたもの、光る部分が顕著に出るくっきりした陰影に惹かれているから表現方法に写真を選択したのは本当の原点に戻る形となったのかな。絵が好きというのよりも先に来ているのかもしれない。

今でもビジューの付いた服とかに目がいっちゃう。カラスか。

 

 

 

好きな人、と思い込んでるだけかもしれない嫌いになれない人がいて、少し前まで頻繁にSNSを監視していてコメント欄に知らない女がコメントしてたり向こう が女にコメントしてるの見たらキー!何よ!と嫉妬の嵐だったけど、「あれ!わたし今嫉妬してる!ということはこの人のことやっぱり好きなんだ!♡」とその 状態を楽しく思えていた。新たな楽しみ方を見つけてしまっている。しかもそれを本人に言ってしまっている...。なぜ言ってしまったのやら...。聞いて 聞いて!みたいなノリで言ってしまった。馬鹿さ極まれり。

最近はそれも落ち着いて、相変わらずこっそりSNSを監視してるけど、前ほど嫉妬はしなくなったし(正直自分のこと考えるのでいっぱいいっぱいというのもある)、仕事以外で会う女がわたしだけであればいいやと思えるようになった。

LINEの返信が返ってこなくなっても向こうから来なくてわたしから送ってばっかりであってもまあ忙しいんだろうな、忙しいのは重々知ってる、と納得出来ている

その人の仕事や生き様をもっと見ていきたい。だからわたしに構って万一仕事に差し障りが出るくらいならどうぞ放っておいてください、そんなあなたは見たくないという気持ち。ファンみたいな心情。

でもわたしと付き合えなくてもいいけど他の人と付き合ったらやだー!(わたしが他の人と付き合うのは良いけど!)という勝手なことも思ってる。

ファンでいるから返信無くても仕事でドタキャンされても赦せるけど他の女とのスキャンダルは赦せません、ファン辞めるわって感じ

なんかそこだけで保ってる気がする。保てていると言えるかわからんが

というか願わくば新しくまっとうな人を好きになりたい...

わたしは結局即席の愛の言葉を吐かれてフォローがうまければ本当に愛されてるかとかどうでもいいのかもしれない。本当の愛とかそもそもなんやねん無いやろと思っているし。

 

NANAを既刊まで全部読んで、そこに出てくる詩音という女性キャラ(ブラストの昔からのヤス信者)が言ってた、

「他人を独り占めするなんてしょせん出来ないのよ。絶対無理。あたしはそんな無理を強いる存在にわざわざなりたくないよ。きっと困らせるばっかりになってぶち壊しちゃうから」

という言葉にハッとさせられた。漫画のキャラに置き換えんなという話だし、自分に酔ってるな、とちょっと恥ずかしく思うけどなかなか感銘を受けた言葉でした。ファンって無償の愛だな。これからは恋人や好きな人にはファンであろうと思った

あと癒しの存在でいたい。基本的に男に対して厳しすぎるから癒しを提供できる存在になりたい。自分が我慢する事なく。聖母?