器用貧乏

何かを始めたり決めたりすることにいちいち考え込んでしまう。みんながやってて大多数がこうするもの、直近で言えば就職なんだけど、一度自分の中で咀嚼して納得しなければやりたくない。気持ちが出来ない。
みんななんでそんなに考えずに決定出来るの?自分の人生なのに。甘いと言われてもそう思ってしまうんだから仕方がない。
「みんながしていて当然のこと」だから、しないとかやりたくないっていうのは甘えと言ってしまえば簡単だけど、それは思考停止してるんじゃないかと思う。世間の常識を盾にして、自分を生きているのか?そんなこと考えない方が楽に生きれるのはとっくに知ってる!泣

中学生の時分は褒められるために特に好きでもない勉強を頑張っていて、友達と遊ばず部活もせず毎日10時間はしていて、とても苦痛で、それでも私より悠々といい成績を取る人たちが存在していて、この差は何なんだろうと思った。その人たちはきっと勉強が好きで頑張ってるつもりが無いんだろうな。じゃあ私って何なんだろう。
好きでもないことで苦しみを感じるならせめて好きなことで苦しみたい。ろくに絵を描いてきてなかったけど、綺麗なものが好きだし絵を見るのが好きだから美術の方へ進もうと決めた。まあ〜〜〜落ちこぼれまくったけど。ダメな生徒だった。

7年間芸術に携わってきて、その作品に触れて自分がどう思うか、心の動きに注目する癖がついたために、物事の選択でもいちいち自分の心の奥底ではどう感じているか、と考えてしまう。だから当たり前のことを流せない。めんどくさい性格になったものよ。後悔はないけど。
今は好きなことが多くて選べないくらいで、だからどこへ進んでもそこそこ楽しみとやりがいを見つけてやってけるんだろうなと思えるようになった。進歩。

お金を稼ぎたい気持ちもある。物を作ることってなんでこんなにお金にならないんだろう。物作り以外にも楽しみを見つけられるようになった今、売る側で稼ぎたいと思う。物作りを仕事にするなら、お金にならないのもしんどいのもわかってるけどでも好き、本当にそれしか出来ないってくらいの気持ちがないとダメだ。それ以外に出来ることが自分にあるなら迷わず売る側へ回れと大富豪のアートディレクターの教授が仰ってた。
視覚でどうこうする仕事に就きたいと思う。あと後ろ暗くない仕事。良心が死んでしまう職は辛い。私はいい人間になりたい。

人間として成長して、一生かけて自分という人間の価値を高めたい。作品にしたい。正気です。
それには色んな人と多く接することが一番手っ取り早いと思ってる。人は人との間で研磨されて成長出来ると思っているから、なるべく人と接する仕事をしたい。人に気を遣いたい。喜んでもらいたい。こんな風に思えるようになる日が来るとはという感じ。