矛盾を包括

いつからか刺激を得たい、もっと強い刺激を、と欲するようになった。
目に映るものも心の動かされ方もコントラストが激しければ激しい方が好ましい。たまに自分の感情の急激な高低差に自分でついていけなくなる時がある。それでも力を振り絞っていると捉えて、生きている実感が得られる。
それが続くとさすがに疲れて、平坦で穏やかなものを望んでも、心の底からは望んでいないのだと思う。実行していることと反している。


初めて彼氏が出来た18歳の頃からなんやかんやと割と途切れずにいて、しかし幸福な付き合いはあまり無かった(そう言うと幸福とは何だという話になってくるけれど)
1年以上居ない状態は考える時間がわたしには長くて、その方面に対しすっかり怯むようになっていた。短命な付き合いばかりで、相手が変わった人だとしてもここまで続くと自分に原因があるのではないか、男女の交際として付き合うのは向いてないのでは、自分に欠陥があるのか、と考えるようになった。
相手にその気持ちが無くても、言葉は悪いが利用されている状態というのは深く傷つく。そしてわたしは馬鹿で、肝心なところで思考停止するからいつも間違えるのだが、それにしても悪人が多くないかとだんだん腹が立つ。自分から好きになる人にはやすやすと信じ過ぎていいように使われ、好きだと言ってくる人も何の目的があって近付いてきているのかと疑うようになる。
どのみち利用されるんだったら男性全てを利用してもいい、傷つけられる前に傷つけて逃げることを繰り返すようになり、自分は最低のクズ人間だとコンプレックスを抱え、大きく自意識を拗らせて、純粋に好きという気持ちで付き合うというのがどんどん遠い世界のように思えた。
そういう拗らせた自分を全てリセットして純粋に人と付き合いたい。悲願さに自分で引く。
これ以上最底の人間になりたくないしこのままでいたくない。信じることが怖くなっているけれど信じるところからしか真っ当な関係は始まらない。
負の感情から生まれるエネルギーはなぜこんなに強力なのか。前向きな正義の言葉よりもずっと自分を信じられる。


このブログに表示された広告に「後悔の無い人生を送りたいあなたへ」とあって、うるせえ黙れ!と言いたくなった